今週のお花はトルコききょうとクリスマスローズのはっぱです♡
すてきな花瓶を頂いたので花瓶に合うお花を探してきました。
マルショクでマルショクの歌を歌いながら。
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ちだバレエスクールのおじょうさんたちはレッスン後にしばしばすごい殺し文句を言ってきます。
「帰りたくない・・・」
惚れてまうやろ。
上記はちだバレエスクールの「展覧会の絵」です。
昨日テレビでクラシック音楽の番組があり展覧会の絵のラヴェル版が演奏されていました。
我らの展覧会の絵は原曲のピアノバージョンだったのですがラヴェル版はオーケストラバージョンです。
ラヴェル版の冒頭を聴くといつも、悪気はないのに悪魔祓いをされている亡霊のような気分になって震えがくるのであんまり好きではないです。
右の黒い集団は以前にブログに書いた「形式としては夏木マリ的に内容としては杉本彩的に」指導してきたひとたちです。
しっかりそのように踊ってくれました。
こちらは東山動物園の裏アイドル、かばの重吉さんです。
2017年8月のヨガはコアっています。コアりまくりです。
横向きの腹筋が苦手なひとがあざらしみたいになっていてかわいいです。
外旋六筋をストレッチしています。腕はムキムキになりそうです。
それでいてふくらはぎをやわらかくしようとつとめています。
アロマオイルはレモングラス、音楽は屋久島の波の音、宮古島の波の音です。
最後のシャバアーサナで滝の音にまじってみんなの気持ちよさそうな寝息がきこえます。
えらいヨギがみたら「寝てはいかーん」ってヨガマットをひっくり返しそうなくらい。
こちらは夏休みに行く予定にしていた東山動物園にパンダがいると思いこんでいたうっかりした母親のせいですっかりパンダマニアになり、パンダを動物園に連れてきたものの、実は東山動物園のスターはコアラだったと知ってショックを受けている男(3歳)の後ろ姿です。
先日ブログに書いたスヘイエン著「ディアギレフ」読了しました。
ディアギレフ、やっぱりすごい人でした。大好き。
特に、「個人的なかなしみを周囲の人とぜったい分かたない」
「どんなにすばらしいものでも長すぎるものには堪えられない」というところに共感しました。
ストラヴィンスキーやリムスキーコルサコフ(のちには夫人までをも)を激怒させながら、常に曲を短縮してしまうところとかかわいくて笑ってしまいました。
ちだバレエスクールの発表会はみじかいよ、セリョージャ。
もうちょっと観たいのにってみんなに思わせるようにしてる。
意外だったのは、ディアギレフがドストエフスキーを読んでいたということでした。
わたしは暇なときいつもカラマーゾフの兄弟を映像化、バレエ化したらどうするかということを考えていて、そのことについてディアギレフと話せたらいいのにとついつい妄想してしまいました。
バレエ化の理想版。
振り付け:ノイマイヤーがいいけどたぶんロシア人がブーブー言うのでマリンスキーのシモーノフに頼むか。
音楽:チャイコフスキーの交響曲等(冬の日の幻想、とか小ロシアとかいいんじゃないか)
編曲はコルネリュークで。(ロシアで映画音楽のサントラなどを作曲している人、たまにとんでもない歌を歌う)
衣装、美術:ラクロワ(かっこいい兄弟のためにシックなタキシード的タイツを考えてほしい)
配役:フョードルがバリシニコフ。ドミトリーがフォーゲル、イワンがポルーニン、アレクセイがサラファーノフ。どうですか、かっこいい兄弟でしょう。いつも人の好さそうなフォーゲルくんが悪いミーチャで、悪そうなポルちゃんが知的が行き過ぎたイワンだ。レオ君はアリョーシャをやるなら髪の毛を黒くしてもらいたい。そしてこれは石を投げてくる人がいるかもしれないけど、マクレイ先輩がスメルジャコフです。あの顔色の悪さと演技力で熱演してもらいたい。ラキーチンはイワン・ワシリーエフ。女子はカーチャがいかにもロシア美人なノヴィコワ、グルーシェニカがよさそうなわるそうなオシポワ。ホフラコワ夫人が貫録のロパートキナ。かわいいツンデレのリーザはオブラスツォーヴァです。
観てみたくないですか?フョードルとイワンの男同士のパドゥドゥなんかもあるといいですね。
しかし周囲にカラ兄好きな上にバレエマニア、という人がいないのでこまっています。
ディアギレフが生きてたらなんて言ってくれるでしょうか。
さらに、日本における舞台版(顔が濃い人を集めた)、テレビドラマ版(顔がタイプの人を集めた)などがあるのですが、先日日本ドストエフキー協会の従僕、じゃなかった世話人である夫にその話をしたら、あまりに細かな配役に、結構目が泳いでました!
先週末、ちだバレエスクールでじっくりことこと育てた生徒たちがコンクールに初参加しました。
頑張って毎日のようにレッスンしてきたみんなの魅力を全開(この表現、ディアギレフの読みすぎ)にするためにも、楽屋裏でのしくじりは許されない。
ほどよい緊張感の中、メイクにウォーミングアップ。無事にみんな魅力全開で踊ることが出来ました。
一か月前の発表会から急成長したなあ生徒たちよ。
初参加でしたが、おかげさまで一名入賞しました。わーい♥
たくさんのこどもたちを観ながら、いつも考えることを考えてしまいました。
なんでバレエやってる人ってうつ病になったり過食症、拒食症になる人が多いんだろうって。
私も小さいころからバレエをやってきてそういう人をたくさんみてきました。
そして10年近く指導してきて、いろいろ考えて、うっすらと答えがみえてきた気がします。
舞踊ってやっぱり様式や型を追及することが前提です。常に自分を省み、少しでも美しい動きを身につけなければないらない。美しいスタイルであらねばならない。指導者も細かい注意を常にしていくと思います。
これではだめだって常に自分で感じながら芸を習得していきます。でもこれでは自分はだめだって常に思いながらその心を美しいものに変えてやっていける人って、真ん中で踊れる強い一流の人だけで、そうではない人はものすごく苦しいんじゃないかなと思うのです。
いつのまにか、「バレエが」思うように出来ない自分、が「出来ない自分はだめな人だ」という発想に転化してしまうのではないかと。
バレエはすごく魅力的なものだから、真剣にやっていくうちに人生にそうとう侵食してきてしまう。
バレエ抜きで考えたら、おりこうでお金持ちで美人な人でも、そして恐ろしいことにバレエが上手であっても、「自分はだめなんだ」と思ってしまう。
ただしこれはバレエに限らず何かを一生懸命にやっている人に起こるかもしれないことなのだけれど。
だから、これが正しいのかどうかはわからないけど、私はバレエを教えていくうえで、生徒たちに「あなたはいるだけで素晴らしいし、バレエを続けているのはすごいことだ。先生はおまえを愛している。」ということを常に伝えて、それでもバレエはこうあらねばならない、ということがたくさんあるから、それは常に学んで上達していってもらう。という態度で臨んでいます。バレエ的に正しくなく踊るんだったらバレエする意味ないですからね。
「自分」と「バレエをやってるまだまだな自分」というものがべつに考えられたらいいんじゃないかなと思う。
ところでたまに「先生、厳しく指導してください!」という生徒さんや親御さんがいらっしゃいます。
きっと厳しい口調や態度でレッスン、とかたまに大声出してキレるとかそういう意味なのかな。
そのような要求はラーメン二郎に行って「あっさりしたものが食べたい」と言ったり(二郎の店員、激怒するだろうな)、プードルを飼っておいて「あ~この子直毛だったらかわいいのに~」というようなものです。
わたしはにこにこしながら厳しいことを言うタイプなのです。
こちらはコンクール後にいった植物園
またまたコッペリアの頭飾りをつくりました。
せんせいが~よなべ~をして~はなかんむりつくってく~れ~た~
ということもなく、大体15分くらいで完成。
びゅうびゅう吹く風の音をききながら(あしたは台風)今作りました。
きょうはみんなが私にパンをくれる吉日でした。
不思議なんだけどみんなが雑貨をくれるデー、とかみんなが野菜をくれるデー、などもある。
ちくわパンというものを人生で初めて食べておいしかったです。
ちくわの中にシーチキンが詰まっているという演出がたいそう心憎いです。