先週末、ちだバレエスクールでじっくりことこと育てた生徒たちがコンクールに初参加しました。
頑張って毎日のようにレッスンしてきたみんなの魅力を全開(この表現、ディアギレフの読みすぎ)にするためにも、楽屋裏でのしくじりは許されない。
ほどよい緊張感の中、メイクにウォーミングアップ。無事にみんな魅力全開で踊ることが出来ました。
一か月前の発表会から急成長したなあ生徒たちよ。
初参加でしたが、おかげさまで一名入賞しました。わーい♥
たくさんのこどもたちを観ながら、いつも考えることを考えてしまいました。
なんでバレエやってる人ってうつ病になったり過食症、拒食症になる人が多いんだろうって。
私も小さいころからバレエをやってきてそういう人をたくさんみてきました。
そして10年近く指導してきて、いろいろ考えて、うっすらと答えがみえてきた気がします。
舞踊ってやっぱり様式や型を追及することが前提です。常に自分を省み、少しでも美しい動きを身につけなければないらない。美しいスタイルであらねばならない。指導者も細かい注意を常にしていくと思います。
これではだめだって常に自分で感じながら芸を習得していきます。でもこれでは自分はだめだって常に思いながらその心を美しいものに変えてやっていける人って、真ん中で踊れる強い一流の人だけで、そうではない人はものすごく苦しいんじゃないかなと思うのです。
いつのまにか、「バレエが」思うように出来ない自分、が「出来ない自分はだめな人だ」という発想に転化してしまうのではないかと。
バレエはすごく魅力的なものだから、真剣にやっていくうちに人生にそうとう侵食してきてしまう。
バレエ抜きで考えたら、おりこうでお金持ちで美人な人でも、そして恐ろしいことにバレエが上手であっても、「自分はだめなんだ」と思ってしまう。
ただしこれはバレエに限らず何かを一生懸命にやっている人に起こるかもしれないことなのだけれど。
だから、これが正しいのかどうかはわからないけど、私はバレエを教えていくうえで、生徒たちに「あなたはいるだけで素晴らしいし、バレエを続けているのはすごいことだ。先生はおまえを愛している。」ということを常に伝えて、それでもバレエはこうあらねばならない、ということがたくさんあるから、それは常に学んで上達していってもらう。という態度で臨んでいます。バレエ的に正しくなく踊るんだったらバレエする意味ないですからね。
「自分」と「バレエをやってるまだまだな自分」というものがべつに考えられたらいいんじゃないかなと思う。
ところでたまに「先生、厳しく指導してください!」という生徒さんや親御さんがいらっしゃいます。
きっと厳しい口調や態度でレッスン、とかたまに大声出してキレるとかそういう意味なのかな。
そのような要求はラーメン二郎に行って「あっさりしたものが食べたい」と言ったり(二郎の店員、激怒するだろうな)、プードルを飼っておいて「あ~この子直毛だったらかわいいのに~」というようなものです。
わたしはにこにこしながら厳しいことを言うタイプなのです。
こちらはコンクール後にいった植物園