今週のお花は鶴岡町のベニシアさんの庭に行ってせびってきた小さなガーベラと庭のラベンダー。
バレリーナ陶芸家に頂いたカラーです。他力本願♡
はこうまおやこはなかよしこよし。いつでもいっしょにぽっくりぽっくりあーるーくー。
今週のお花は素朴な感じにしてみました。田中邦衛さんが亡くなってさみしいですね。
やっと本気のやる気が出てきました。
やる気が出ない時は「やるき茶屋…」ってつぶやくといいですよ。
チャイコフスキーはくるみ割り人形の作曲を頼まれたときやる気が出なくて出なくて大変だったそうです。
「もうぜんぜんやる気出んわ。。。」と依頼者のフセヴォロシスキーや弟のモデストに沢山手紙を書いています。
振り付けのプティパも当初書いた台本ー「ロベスピエール的」「革命的」な台本を劇場側に反対されて、「もうぜんぜんやる気でんわ。。。」となって、台本を書き直し、イワノフに振り付けを任せてしまったそうです。
それが今となってはくるみ割り人形はバレエという芸術の中で代表的な作品になったのですから運命ってわからないものですよね。
ちなみにちだ家では横断歩道を渡るときは「渡哲也!」っていいながら渡ります。
3月も半ばになったのでお雛様をしまいました。
こちらはリサ・ラーソンのコサック人形イワンくんです。
うちの家宝のひとつです。みなさんみたら拝んでください。
なにか良いことがあるかもしれない。
さて夏の発表会くるみ割り人形に向けて、くるみ割り人形についてもう一度調べてみようと思い立ち、いろいろな文献にあたっています。じつはちだバレエスクールの「くるみ割り人形」は、オリジナリティーのあるものにしようと思っているので、では本来のバレエ、「くるみ割り人形」ってどんなものなんだろうということをはっきりさせておかなくてはと思ったからです。結論から言うと、オリジナルと現在スタンダードになっているものは違う、くるみ割り人形の演出は生ものだ!という感想を抱きました。
まずはホフマンの「くるみ割り人形とねずみの王様」、その翻案であるデュマの「くるみ割り人形」、プティパ(とフセヴォロシスキーの共作と言われる)のバレエ台本、バレエを作るにあたってのチャイコフスキーへの作曲指示書を読みました。いずれも日本語に訳されており、新刊だとホフマンのもの以外は入手困難ですが、図書館で読むことが出来ます。
なぜデュマのくるみ割り人形翻案が必要であったかというと、①プティパがフランス語の方が都合が良かった②ホフマンは当時のロシアで社会主義者に支持されており都合が悪かった。劇場は皇帝のものですから。という説があります。チャイコフスキー自身は、ホフマンの方のセルゲイ・フレロフによるロシア語訳を読んでいたとのことです。
いろいろとお~!!!と思うことがあり面白いです。
プログラムにまとめたものを書く予定ですが、今日はお菓子の国への行き方について。
ホフマンでもデュマでもくるみ割り人形がマリー(バレエ台本ではクララ)をお菓子の国ーデュマではおもちゃの国、ホフマンでは人形王国ーに案内するとき、近道を通ろうとします。これはバレエの台本にはありません。
そしてその近道はマリーの家の洋服ダンスなのです。あれ、これ知ってる。と思いました。そう、「ナルニア国」への行き方と同じなんですね。洋服ダンスをあけて中に入ると、そこは異世界。ナルニア国の方が後だからナルニア国が影響されているのでしょうか。それともヨーロッパの「おはなし」では異世界に行くとき洋服ダンスを通っていくのは普通のことなんだろうか。はたまた偶然なんでしょうか。
という風に色々と興味深いことが多く、頭がぐらぐらしています。
だからちだバレエスクールのみなさん、先生がみんなの名前を呼び間違えたり毎回ストレッチをするのを忘れていてもどうか見逃してください。
ちなみにやさしい生徒たちは「先生、私なんか犬と名前間違えられるときあるよ」「あの~ストレッチは?」とフォローしてくれます。