今週もごうかなお花。その足元にはなんとドラゴンボールが!!!
30年あまりかかってやっと7個集まりました。
みんな喜んで足でつかんでいます。
神龍への願いごとはもう決めてある。
おとなりは、マトリョーシカが出てきました。
おかあさんが鶏を抱えているので酉年にぴったりですね。
今週はプログラムの写真撮影があります。
みんながいつも以上に美人にうつりますように。
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Category: きょうのちだバレエ
今週のお花は翁草と水仙です。
ちだバレエスクールから徒歩3分の鶴岡町のベニシアさん(とわたしが心のなか
で呼んでいる)の庭に行って「このお花だーいすき」と言っていたら切ってく
れました。
写真ではよくみえないかもしれないけど翁草の中には紫のぽんぽんみたいなの
が入っていてすごくかわいいです。
さてもう春も本番です。年明けからスノウダンスというのを小さいクラスで練
習していて先週最終回でした。雪の情景を表現したものです。最初こどもたち
が「えっ相撲ダンス?」と聞き返してきました。
ちだバレエスクールに入会したからそうなってしまうのか。あるいはそのよう
な傾向のあるお子さんが入会してくるのか。
相撲ダンスか。すごいな。
しばらく更新をさぼってしまいました。申告がおわったから『騎士団長殺し』を読んだりあたらしい刺繍の本を眺めたりしていたらいつのまにか時間がたっていました。
2017年3月のヨガを紹介します。アロマオイルはレモンとユーカリです。音楽はハタヨガがキャスリーンバトルのモーツァルト。すばらしいすばらしい歌声。陰ヨガが「ヨガのためのバッハ」です。
クラシックを聴きながらヨガをするのってなかなかいいですよ。
今月はみなさん花粉症に苦しんでいるようなので、鼻がすうすうしそうなポーズを取り入れています。
わきまわりのリンパをマッサージしたり、頭をさかさにしたり、魚のポーズをしたり。
わたしも今年もしかしたら花粉症になったかもしれないけど(朝になると鼻がつまっている)なってないふりをして暮らしています。
マスクをせず、薬ものまず自転車にのりほうだい花粉あびほうだいです。
しかし夜になると鼻づまりはなおっている。
さて上のバケツはいったいなんなのでしょう。
くるりの「つらいことばかり」を聴きながら数日かかってバケツの取っ手をのこぎりで切り落としました。
oh yeah!つらーいことばかりだね。oh yeah!つらーいことばかりじゃない!
きになるかたはどうぞ今年7月16日の発表会を観にいらしてくださいね♥
右はきりのなかのはりねずみ。
まんなかは私の大好きな女(9さい)が刺しゅうしてくれたがくぶち。
左はおだんごぱんをおいかけるうさぎです。
春なのでお弁当を飾りました。
水仙と野生のすみれは近所のお庭で失敬してきました。
今日は写真がぼけてますね、それほど九州のPM2.5はひどいんです。
というわけではなく単に写真がへたなだけでした。
今日水曜日はバレエがいっぱいある日です。
うちの児童たちはいつも帰るとき「ありがとうございました!」って大きな声で言ってくれます。
「バレエ後のありがとうございました大会」とかがあったらかなり上位にくいこめると思います。
先週朝のバレエクラスで、おそまきながらレッスン後におひなまつりパーティーをしました。
レッスンの最中にだれかが間違えるとちだバレエスクールの長老が「おひなさまで興奮しとるんやろ!」
とつっこんでいました。
わたしも長老ぐらいの年齢になっても、そんな中二の男子みたいなハートでいたいなと思いました。
下はおひなさまのすばらしい会場です。朝のバレリーナのてづくり。
すごいです。
これはほんの一例。このすばらしいおひなさまがご覧になりたい方は、、、
ちだバレエスクールに入会してください。
先日ブログで、コッペリアの台本で舞台に設定されているガリツィア、コッペリアをつくったフランスにとってガリ
ツィアってどうだったんだろう。ということを書きましたがそれについて調べちゃいました。
調べ物をするときウィキっているだけじゃだめだと自分で思うので以下が参考文献です。
上にのっているのは関係ないけど世界一かわいいと噂の(我が家で)STABILOのえんぴつ削り。
さてガリツィアとは現在のポーランド南東部・東部からウクライナ西部にかけての地域を指す歴史的名称です。歴史的にはキエフ・ルーシが分裂し、12世紀にガリツィア・ヴォイルニ公国が成立し、その後まあこのあたりの人がみんな被害を被ったモンゴルの侵入を経るものの国際中継貿易の拠点として発展します。そして話が飛びますが18世紀の末にハプスブルク帝国に編入され、19世紀の初頭にはオーストリア領に、1867年にはオーストリア・ハンガリー帝国となります。コッペリアのリハーサルが行われたのが1868年ということですから(詳しくは『バレエの歴史 フランスバレエ史ー宮廷バレエから20世紀まで』佐々木涼子著)そのころにはガリツィアはオーストリア・ハンガリー帝国だったのですね。コッペリアの台本には時代設定がありませんが、オーストリア統治下のイメージなのかな。小さな町、最後には領主が出てきたりして。ガリツィアはある程度自治権をもっていたのだということです。
では、ガリツィアってフランス人にとってどうだったのというところです。ガリツィアはポーランド人が多数派ですが、ガリツィアじゃないほうのポーランドはロシア帝国の支配下にあります。19世紀に入るとロシア支配に対するポーランド人の蜂起が相次ぎ、それに共感したフランスではオーベール(バレエ、グランパクラシック作曲の人)が「ワルシャワの女性」という歌を作曲しパリの民衆によって歌われたということです。1846年西ガリツィアでは農民一揆がおきており、ポーランド人農民がリベラルな地主を虐殺、オーストリア軍に鎮圧されています。その後もポーランド全体では、ロシアに対する蜂起がおこり、数十年にわたって多くのポーランド人がフランスに亡命しています。ポーランド人たちはパリに政治、文化組織を作り、1848年(フランス革命の年です)パリでは数千人の市民が「ポーランド万歳ヴィヴァ・ラ・ボロンニュ!」と叫んでフランス下院になだれ込んだのです。つまりパリ市民にはポーランドに対する共感があったといってもいいでしょう。ガリツィアの地名も蜂起の際に「ガリツィアの虐殺」として知られていたことは想像に難くありません。パリのひとたち、「なんかいろいろ大変だよなポーランド人」と思っていたことでしょう(妄想)。
ところでコッペリアはキャラクターダンス(民族舞踊)を大々的に取り入れた最初のバレエと言われています。振付家のサン・レオンは、各地を旅行中に覚えた民謡を盛り込むために、バレエの舞台を「砂男」のニュルンベルクからガリツィアに変えたのだそうです(『バレエの見方』長野由紀)。ポーランドやハンガリーの手が出てきまよね、はたまたスペインやスコットランドの踊りまで出てきます。こないだうちの教室のこどもたちに「スワニルダはコッペリウスのおうちでどんな踊りをおどるの?」と聞いたらみんな「スペイン!」と知っていて感心しました。
というわけでガリツィア、なかなか興味深い地域です。今回は関係ないので書きませんでしたが、ポーランド人のほかにウクライナ人も住んでいて、ガリツィアはウクライナ民族主義の中心地でもあった。バレエって別に歴史考証とか全然しなくていいんだと思うのですが、ちょっと気になったのでしらべてみました。日本だと耳慣れない地名だと思うので。英語表記のガリシアを多くの人が使っていました。
ところでボリショイのコッペリアの衣装はすごくガリツィア公国の国旗と配色が似ていてさすがやわと思いました。
夜の大人クラス、発表会の練習で「さあ夏木マリみたいに!ここは杉本彩で!」
とわたしに言われ続けたせいでしょうか。
今夜やってきた人たち、なぜかそろってセクシーに紫とワインレッドの色をみにつけていました。
如月もあと3日でおわりですね。弥生感、自分の中でまだゼロです。
ちだバレエスクールの児童Ⅰクラスではクラスの導入のときに
ロシア語で方向や体の部分の名前を教えています。そのときに日本語を介さずに教えています。
母語を介さずに外国語を理解するというやつですね。
「こっちだよ」とか「下がって」とかをロシア語で指示して生徒たちに動いてもらいます。
ウォーミングアップにもなるのですこれが。
そしてある日ふと「わたしの立ち位置が変わってもこの人たちはちゃんと指示がわかるのだろうか」
と思ったので、二つある児童Ⅰクラスでやってみました。いつもと違う場所に立って呼びかけてみたのです。
そうしたらみんなちゃんとわかっていたので安堵しました。
空間認識能力ばんざい。
今日の写真はロシアの山中のろばさんたち。
ろばをみるとつい乗ってしまいます。
ろばのみなさん、わたしに会ったら乗られないよう気をつけてください。